君と春夏秋冬

なにわ男子の西畑大吾くんが好きです

松竹座まで10分の場所に住んでいた関西担が、東京で就職した理由

「東京に来てよかったーーー!!!」

ジャニヲタの友達は、口を揃えてそう言う。
だが、関西担としてのわたしがそう思えたことは、今のところほぼないに等しい。

 

大阪出身、社会人1年目。
西畑大吾くんのファンを始めて7年目。
実家は、松竹座まで電車で10分。
京セラドームも大阪城ホール梅田芸術劇場NHKまで、すべて30分圏内。
その他諸々の立地も含めて、わたしの実家は、関西担をするには最高の場所にある。

かつて大吾くんと仲良しの関西ジュニアが口を揃えて「大ちゃんの家は松竹に行きやすいから泊めてもらうことがある」って言っていたけど、正直わたしの実家は大吾くんの実家を超える立地の良さだったと思う。

 

東京に来てからは、松竹座も大阪城ホールも、行くにはすべて膨大な時間とお金がかかるし、関西ローカルの番組も気軽に見れない。
WSでも関西なら取り上げてくれる部分が、関東だと切り取られていたりする。
探せばいた関西担も、東京だとやっぱり少し少なくて寂しい。
何気ない日常のなかで、関西ジュニアの姿を見ることが減った。

 

しかし、こうなることは、就職を決めた時点でとっくに予想できていたことだ。
では、なぜ関西担のわたしが、それでもなお東京で就職したのか。

答えは、わたしの応援スタンスと、自担が最高であることの2点にある。

 

ひとつめ、わたしの応援スタンスのこと。わたしはいつだって、「大吾くんに負けたくない」という気持ちに突き動かされて生きている。

大吾くんのファンとして、もちろん大吾くんからいつも笑顔や幸せをもらっているし、大吾くんの存在が明日も頑張れる原動力になってはいるけど、ただ「頑張っている大吾くんを応援したい」「大吾くんがキラキラ輝いているところを見ているのが好き」という気持ちだけではいられないのだ。

大吾くんは有言実行の鏡みたいな人。口に出した夢はすべて叶えていってくれる。ファンとしてこんなに信頼できる人はいない。そんな人を好きになれたことや、応援できていることは本当に幸せなことだと、つくづく思う。

大吾くんは周りの人々やファンの予想も期待もすべて飛び越えていって、関西ジャニーズJr.のセンターを務めあげ、2018年、ついに「なにわ男子」という王道キラキラアイドルグループで、センターと赤をもらった。

ジャニーさんに赤をもらえるということがどういうことか。きっとそれは大吾くんもすごくよくわかっていたと思う。わたしは、大吾くんが選ばれたということがすごく誇りだった。来月に待ち受ける京セラドーム3daysなんて、まだ夢みたいで信じられない。

だけど、こんな感情と同時にわたしは、大吾くんに負けたくない、という強い気持ちを持っている。負けたくなかったから東京に来た。ここまですべての期待も予想も飛び越えてきてくれるなら、大吾くんは必ずデビューするって確信したし、今もそう思っている。だから、先に東京に来よう、と思った。それは、その方が将来的に現場に行きやすくなるからとか、そういう問題ではなくて、口に出した夢を次々と叶えて周りの予想を良い意味で裏切っていく大吾くんを見ているとなんだか悔しくなったからだ。わたしだって、自分の夢を全力で叶えたいと思った。

わたしのなかで、自分の夢よりも大吾くんを優先してはいけない、というひとつのルールがある。自分の夢のために今集中すべきことがあるなら、現場には行かない。これは、大吾くんを好きになった当初から心に決めていることだ。そして今となっては、あくまで大吾くんはわたしのなかで、目指すべき姿。取り組んでいる仕事や描いている夢は違えど、あんなふうに口に出した夢を叶える人になりたい、と思うから、自分の夢よりも大吾くんの現場を取ってはいけない。

大吾くんに出会った頃に比べて、自分はちゃんと成長できているのか? 大吾くんに負けずに一歩一歩夢に向かっていけているのか? と思うと、まだまだ中途半端なことしかできていないような気がする。だから、悔しい。大好きな大吾くんはどんどん夢を叶えて遠くなっていくのに、わたしはまだ何もできないちっぽけな自分のまま。それが、悔しい。大吾くんと自分を比べるなんておこがましい話だけど、こういう気持ちを抱えながら、わたしは大吾くんのことを応援している。

大吾くんを応援するのはすごく楽しくて幸せなことだけど、わたしは大吾くんの現場をただ日常生活を忘れて癒しをもらったり、笑顔や幸せをもらうだけの場にはしたくない。何よりも自分の夢を、現実を優先して、大吾くんの存在を自分が自分の目標に向かって頑張るための原動力にしたい。そういう意味も込めて、大吾くんに負けたくないから頑張る、というスタンスで応援していたいし、そんな気持ちを強くするために現場に行きたい。本気でそう思っているし、そういう風に思わせてくれるぐらい、パワフルに夢を叶えていく大吾くんのことが大好きだ。

わたしの夢は東京じゃないと叶えられなかった。だから、大吾くんより、自分の夢や目標を優先して、東京に来ることを選んだ。わたしにとってはこういう選択をすることが、今後も大吾くんのことを応援していくうえで、正しい選択だった。

おこがましいことを言っているのはわかっているし、なかなか理解されない応援スタンスではあるけど、わたしはこういう自分のスタンスを、すごく大切にしている。もちろん大吾くんの夢は心の底から応援したい。だけどわたしも負けたくない。そういう気持ちが、わたしを突き動かしている。

 

ふたつめ、自担が最高であること。前述したが、大吾くんは口に出した夢をすべて叶えていく。それどころか、周りの予想を大きく上回る結果を出してくれて、すべてにおいて大きな爪痕を残してくれる。こんなにも華麗に、大胆に、かっこよく夢を叶えていく人を、わたしはほかに見たことがない。

だから、わたしは大吾くんがデビューするって確信している。CDデビューしたいって、大吾くんが口に出した夢だから。絶対に無理だって思ったことも、全部全部叶えてきてくれた大吾くんだから、大吾くんにとって大きな大きなこの夢も、近い将来叶うとわたしは本気で思っている。

ここでまた、"負けたくない"という気持ちが混ざってくるのだけど、そうなったときに、わたしは大阪に取り残されたくないと思った。わたしの夢も東京にあるのに、大吾くんにだけ東京に行かれては困る。追い抜かされないように、先回りして東京に行こう、こんな発想。

ここまで自担のことを信頼できるのは、今までもこれからも、大吾くんだけだと思う。自担が最高だから、いつか夢を叶えて東京進出するって確信できるし、わたしも東京に行こう、と思ったのだ。

 

つまり、わたしは「西畑大吾くんに負けたくない」という思いに突き動かされて、自分の夢を叶えるため、かつ、自担が今後も夢を叶えていくことを信じてその時に負けたと思いたくないがゆえに、東京に来たのだ。理解されないことが多いけど、わたしにとっては人生における結構壮大なプロジェクトの指針となる気持ちだ。

実際に東京に来て、やりたかったことを仕事にすることができた。まだ夢や目標の途中ではあるし、一人では何もできないけど、段階的にはジャニーズ事務所の研修生になれた、ぐらいのところまでは来た気がしている。初めの第一歩を踏んだ感覚だ。仕事はハードだけどやっぱり充実しているし、楽しい。だから関西担としての現場には行きづらくなってしまったけど、やっぱり東京に来てよかった、と思っている。

 

応援スタンスや、自担への思いには、十人十色、様々なものがある。距離が遠くなるからデビューしてほしくない、という人もいるだろうし、もっと自担にかまってもらいたい、認知されたい、という人もいるだろう。そのどれにも正解なんてなくて、良いも悪いもない。

わたしはいろいろなものを通り越して、今はただ、大吾くんが楽しく快適にアイドルが出来たらいいなと思うし、いちファンとしては、大吾くんが幸せを感じてくれる瞬間をできるだけたくさん作っていけるファンでいたいなと思う。たとえばちょっとしたことだけど、コンサートで大吾くんが挨拶するときにはペンライトを赤にするとか。(そもそも西畑担だから基本的に赤だけど)

それと同時に、これからも"負けたくない"というスタンスは持っていたい。それがわたしの頑張れる理由だから。ある意味、大吾くんに出会ってなかったら、もっと安パイなところに逃げていただろうし、夢にために東京に来るという選択はしなかった気がする。

本当に忙しい毎日だけど、今の仕事を選んだことに後悔はない。こう思えるのが幸せ。こう思わせてくれるきっかけをくれた大吾くんには、感謝の気持ちでいっぱいだ。

定期的に、あんなに素晴らしい立地の実家を離れたのは関西担としてばかだなあ、と思うこともある。でも、夢を追うものとしてのわたしは、今の選択にとても満足している。

 

今日も明日も明後日も、大吾くんのことが世界で一番大好き。

そして、今日も明日も明後日も、大吾くんに負けたくない。

 

相変わらず重たすぎる愛を抱えながら、私は明日も精一杯働く。
何かに対して一生懸命でいられるのは、すごく幸せなことだ。

これが、関西担のわたしが東京で就職した理由。

 

今後も、大吾くんへの大きな愛を抱えて好きを更新していきながら、
"負けたくない"という気持ちも持ち続ける、そんな人間でありたい。

そしていつか大吾くんに、夢が叶った、って報告が出来たらいいな、と思う。

夢は叶うって教えてくれたのは西畑大吾くんでした

西畑大吾くんが当たり前にセンターにいてくれる。
その世界に、わたしはまだ慣れていない。

 

わたしが大吾くんのファンになったのは、今から約6年前。なにわ皇子とKinKanがまいジャニのレギュラーだった頃だ。当時の大吾くんはおっとりキャラで、二宮くんと仮面ライダーあまちゃんが大好き。好きな服装はブレッピースタイルで、私服でひげのセーターを着てた。ひょろひょろで童顔で、当時のメインのなかではいつも端っこにいて、MCでもほとんど話を振ってもらえなかった。

「いつか二宮くんと一緒に歌いたい!」

そう語る大吾くんは可愛くて仕方がなかったけど、そんなの夢物語のように思えた。なにわ皇子とKinKanでデビューしてほしかったけど、そんなの無理だってどこかでずっと思ってた。このまま応援していっても、そのうち大吾くんはいなくなって、気づいたら全然知らない子たちが関西の中心を担うようになってるんだろうなって、当時のわたしは本気で思っていたのだ。

そんなことを考えるたびに悲しくてつらい気持ちになったけど、大智くんがいなくなって、Veteranが少しずつ自然消滅させられていって、B.B.Vが崩壊してしまったり、7WESTからがきぺーがいなくなったり。あんなにかっこよかった関西ジュニアB.B.V全盛期が一気に終わりを迎えていくのを目にしていたわたしには、そんな未来しか想像することができなかったのだ。

だから、一つひとつのコンサートを大事にした。いついなくなっても後悔がないようにって、そんなことばっかり考えてた。まさか6年後、大吾くんが関西のセンターで絶対的エースと呼ばれるようになり、恋人にしたいJr.大賞1位をとる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。

 

松竹座には夢が詰まっている。
絶妙に薄汚れた道頓堀という少し治安の悪い町に、長期休みシーズンになると関西ジュニアは電車で通い始める。ステージに立っている姿はキラキラ輝いていて、どこまでもアイドルなのに、学校帰りに淡々と劇場に通う彼らはどこまでも普通の人間。
映画お笑いスタ誕のラスト、おみくじHAPPYのMVでは、そんな関西ジュニアの現実と非現実の交差するところを見事に描いていた。

そんな松竹座で夢を見て、追いかけて、努力してメインメンバーに上がったり、立ち位置を維持したり、理不尽なことで突然干されたり、そんなことを繰り返して切磋琢磨しながら、関西ジュニアは私たちにいつも全力のパフォーマンスを届けてくれる。

 

ジャニーズWESTがいなくなったあと、最初の2014年春松竹。
Happy Happy Lucky You!!というキラキラな新曲とともに、新時代の幕開けがあった。
本格的になにきんがメインになって、夢と希望に溢れている反面、焦って、ボケとつっこみの役割をうまく分担できていなかったり、空回りしたり、そんな大吾くんたちの姿を見て、素直にがんばれー!!って思った。なにわ皇子とKinKanっていう名前はなくなってしまった。もうDon't stop sexy boyz!!も、second movementも歌ってくれなかった。あれが最後だって知ってたら、もっともっと目に焼き付けたのに。って、あけおめコンのことを思った。
「関西ジュニアはこれから平野紫耀、永瀬廉を中心に頑張っていきます」ああ、やっぱりそうなんだ、って、もうだいれんはシンメじゃないんだって、そんなことを思っていた。まさかその1年後にはふたりとも関西からいなくなるなんて思いもしなかった。

 

大吾くんは「無理して頑張る」人だ。これは2014年のEndless SHOCK大阪公演に抜擢されたとき、大吾くんが堂本光一くんからもらった言葉。光一くんは、「ダンスの上手い下手は気にしなくていいから、とにかく素直で頑張れる子を」って言ってくれていて、そこで大吾くんが抜擢されたらしい。
東京では岸くんが演じていた役。ダンスの技量も歌唱力も、大吾くんには全然足りていないことはわかりきっていた。でも、わたしが「大吾くんは目の前にあるチャンスを掴んで離さない人だ」って大きく気づかされたのは、このEndless SHOCKだった。

そもそも、大吾くんが初めてソロを歌ったのはEndless SHOCKの前年の12月。クリパのなにきん公演だった。でも、まだまだバックにコーラスが入っていて、大吾くんの声は全然聴きとれなかった。その次の春松竹でHoney beatを歌った時も同じだった。だから、今となっては当たり前のように聴ける大吾くんひとりの歌声を、わたしはEndless SHOCKではじめてまともに聴いたのだ。

その時の感動は今でも忘れられない。同時に、少クラin大阪も出演せず、約2か月間怒涛のようにダンスレッスンを詰め込み、公演中も共演者の方とのご飯をお断りしてまで永遠に練習し続けた大吾くんは、半年前の春松竹とは大きく変わっていた。

たった半年間でここまで人は変われるのかって。そのへんにいる関西の男の子だと思ってたのに、大吾くんはきちんとプロのパフォーマーになっていた。もちろん岸くんを見てきていたり、ずっとSHOCKを観ていたりする方からは批判を浴びることも多かったけど、西畑担をしてきた身としては、短期間であそこまで大きく人が変われることに、あんなに衝撃を受けて感動することは今までもこれからもあの時が最初で最後だと思う。

 

それでも、やっぱり平野くんと永瀬くんの抜けた穴は大きかった。2人が本格的に関西を離れて、ファンの人に焼け野原と言われていたと当時もがいていた大吾くんたちは言うけど、正直、わたしもつらくて見てられなかった。明らかにキャパオーバーで体調を崩していく大吾くんの姿を追いかけるのは本当にしんどかった。大吾くんに対してプロなんだからそんな姿見せるなって批判する人もいたけど、そんなこと大吾くんがいちばん身に染みてわかっているだろうし、センターの器じゃないって周りから言われているのも明らかなんだから、ファンであるわたしは何があっても一生ずっと大吾くんの味方でいたい、大吾くんがつらいときは無理しなくていいよって言ってあげられるファンでありたいって思った。

 

でも、そこから大吾くんの逆転劇が始まったのだ。

それからのことは全てが一瞬のように過ぎていって、頻繁に起こる嬉しいニュースに毎回衝撃を受けすぎて、あまり覚えていない。センターが似合わないなあって、正直わたしでも思っていた大吾くんは、いつのまにかすごくセンターが似合う男の子になったし、雑誌では関西の絶対的エースと評され、大先輩の丈くんにも信頼してもらえるようになった。

 

「夢は口に出せば叶う」をここまで体現してくれるアイドルはほかにいないのではないかと、わたしは本気で思っている。
わたしが好きになった当初は、どちらかといえばメインのなかでは人気がない方だったのに、今ではそんなこと信じられないような時代になっている。

二宮くんとまだ歌ってはいないけど、一緒にCMに出てしかも契約延長するというミラクルパラダイスが起こった。映画の主演も、オリジナル曲も、連ドラ出演も、ラジオレギュラーも、エッセイの連載も、全部全部叶いすぎていてこわいぐらいだ。そして、恋人にしたいJr.大賞1位まで。わたしの口癖は「みんな大吾くんのこと好きになればいいのに!」だったのだけど、本当にそうなってしまった。

大吾くんが当たり前にセンターにいて、当たり前に関西代表として挨拶をしている。そんな姿を見ていると、いつも泣いてしまいそうになる。松竹座でもずっとそう思っていたのに、さいたまスーパーアリーナでまで、そして、Jr全員集合で東京ドームも。いつもアウェイにされがちな関西が省かれることなく、きちんと東京の現場にも出演させていただける世界。数字とついてくれた先輩の影響力を実感するとともに、邪険にされないことが嬉しくて涙が出そうになる。

 

わたしの見てきた大吾くんの姿は、大吾くんの芸能生活のほんの一部でしかない。これまでにどんな苦労を乗り越えてきて、血のにじむような努力をしてきたかは、結局わたしは傍観者でしかないから、何もわからない。けど、大吾くんは時にちょっと浮かれることもあれば、全部自分で背負おうとするところもあるから。わたしは大吾くんが浮かれている時は、浮かれている期間の方がレアなので楽しく見届けていたいし、また一人で全部背負い始めたときは、大吾くんが信頼している人にちゃんと自分の抱えているものを吐き出すことができますようにって祈りながら、無理しなくていいんだよって手紙に書きたい。直接的に話すことがなくても、ずっと大吾くんの味方でいたい。

関西なのにキラキラアイドル売りしてもらえていること、最高にアイドルな曲の冒頭を大吾くんが当たり前に歌わせてもらっていること、関係者各位にはすべてにおいて感謝しかないし、ここまで頑張ってきて、そしてこれからも頑張り続けるであろう大吾くんには尊敬の気持ちしかない。

 

2019年のあけおめコンオーラス。最後の大吾くんの挨拶。

「My dreamsの歌詞でもあるように、My dreams、Our dreams。僕たちの夢はみなさんの夢であって、みなさんの夢は僕たちの夢になって、いろんなかたちの夢が全員、関西ジュニア一人ひとりにあると思います。その夢に向かって、僕たち関西ジュニア一歩一歩でございますけれども、一歩一歩踏みしめて、こういう現場を増やしていって、みなさんとお会いできる日をまた楽しみにしています。本日は本当にありがとうございました!」

 

わたしはこの言葉を忘れることは一生ないだろう。この1年、関西ジュニアをとりまく環境はめまぐるしく変わっていった。なにわ男子初お披露目と、新曲としてMy dreamsが発表された梅芸のコンサートで見た光景が、今も目に焼き付いて離れない。

それぞれの立場で、それぞれの経歴のなか、思うことも考えることもたくさんあって、いろんな道を選択するジュニアがいた。My dreamsの歌詞は、関西ジュニアに歌わせるにはあまりにも酷で、見ていてつらくなる半面、良い思い出も悲しい思い出も、これまで自分が見てきた関西ジュニアのこと全部全部思い出させられる曲でもあって、深く心に染み渡った。

大吾くんがセンターで、グループのない関西ジュニア。そんな大吾くんと、康二くん、流星くん、そして龍太くんが中心となって築き上げてきた世代の関西ジュニアが、いつのまにかわたしは大好きになっていた。グループが出来て、道が分かれて、嬉しいこともあれば、寂しく思うこともある。でもすべてがプラスの変化だから、苦しかったときのこと、悔しかったときのことも忘れずに胸に刻みながら、今を嬉しく幸せに楽しみたいと私は思う。もう、大吾くん、流星くん、康二くん、龍太くんのつくる関西ジュニアは過去のことだ。

 

大吾くんの夢は、わたしの夢であって、わたしの夢は大吾くんの夢でもある。
そう思うと、もっともっと応援していたい、ずっと見ていたいって心の底から思う。大吾くんの言葉選びがわたしは大好きだ。それと同時に、負けたくないって思うから、大吾くんたちのことばかりに縛られずに、自分のことも努力しようって思えるのだ。
こんな風に思わせてくれるアイドルに出会えたことを、わたしは一生誇りに思いたい。

今までもこれからも、世界で1番西畑大吾くんのことが好き。
夢を見せてくれて、笑顔をくれて、本当にありがとう。

松竹座も東京ドームも楽しみにしています。単独公演とCDデビューの夢、絶対叶えようね。こんなにも長い間、ずっとずっと好きでいられるなんて思っていなかった。こんなにも人を好きになれるって感情を教えてくれてありがとう。

これからもずっとずっと、大吾くんについていきます。

 

大好き!!!!!!!!